3年があっという間に過ぎた。この3年間、歓びも悲しみも色々とあった。誰でも生きていれば日々、喜怒哀楽が訪れるのは当たり前のこと。だから私だけに限ったことではないと理解はしている。それでもこの3年間は初孫、母の死、義母の死と大きかった。特に母の死、、、無力と後悔、深い悲しみで心にぽっかりと穴が開くという感覚を覚えた。
母とはどちらかというと疎遠であったが、病床に伏しての母からは私が知らなかった多くの事をいただいた。私の名前の由来、私の節目での母の想いや姿勢を聞いた。あり得なかった感動と感謝の念を抱けた。古くからお世話になっているAさんからのアドバイスお陰だった。「今のうちに昔の思い出や聞きたい事など色々話しておきなさい」と。素直に母と会話が出来た。コミュニケーションしたことで偉大であり大切な母の存在を認識した。
【孝行のしたい時分に親はなし】という諺がある。まだ存命であったが、思う限りの孝行をすることは不可能だった。後悔が残った。私のコミュニケーション不足の質に後悔した。そしてコミュニケーションの大切さを痛感した。
現在、我が社ではコミュニケーションの活性促進、重要性を説いている。心のすれ違いや後悔が生まれないように。創業者の一人でもある母は会社にはコミュニケーションが最も大事だと私に教えてくれた。